インドの帝王学『アルタシャーストラ』に依ると、四姓の住むべき場所はそれぞれ、

ブラーフマン(僧侶)=北、クシャトリア=(東)、ヴァイシャ=(南)、シュードラ=(西)とした方が良いと書かれていました。ジャイプルではどのようになっているのでしょうか。

 

以下の航空写真を見比べてみると、各街区に建つ住宅の大きさに特徴が見えてくると思います。上から順にみられる住宅・邸宅の規模が大きいのです。

南部:③モデクハナ、④ヴィシェシュアルジ、

西南部:②トプクハナデッシュ

南東部:⑦トプクハナハズリ

また、北東部の方にはブラフマープーリという街区名が残っているようです。

このようにみてくると、理論的にはイレギュラーな点が幾つかみられるとは言え、ジャイプルは『アルタシャーストラ』に基づいて都市を作ろうとしていたことが推測できます。

a.中心街区とブラフマープーリ(理論上はこちらが王宮。詳細は追って説明します。)が建設され始める。→ブラーフマン、クシャトリアの街区

b. a.と同時に西部:①プラニ・バスティ、西南部:②トプクハナデッシュが都市建設の早くから手がつけられた為、整然としたグリッド構成を基に街区が形成されている。そして、8X8という最も細かいグリッドで、規模の小さな住宅が密集する。→ヴァイシャ、シュードラの街区

しかし、本来クシャトリアという官僚や教授達の住む東部の街区が、グリッドが不明瞭で、住宅規模が最も小さいということは腑に落ちません。この理由を考えるには、以下のことを考慮する必要があります。

「ムスリムが住み始めた」

これには、インド人とイスラム人の根本的な世界観の違いが関係しています。

これは一体どういうことなのでしょうか!

 

カテゴリー: 建築情報

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です